Zappa redux/ザッパ再び

ボルティモア生まれのロック・スターの息子が「ツアー・ド・フランク」で父親のユーモアあふれる奇妙でコンプレックスな音楽をイカし続ける。

ミシガン州ローチェスター・ヒルズ:観客の第一印象は「彼たちはやってのけている。」である。セントルイス・ポースト・ディスパッチ紙の批評家は「現在ロック会場でたくさんのトリビュート・バンドがいるなか、“ザッパ・プレイズ・ザッパ”はひょっとしたら一番心から感謝できて重要な存在である。

デトロイトの郊外にある野外シアターで夕日が沈むと同時に白いボタン・シャツを着たドゥイージルは父の特殊なセリフ:「ジョーのガレージでジャムしてたら彼の母さんが“静かにしろ!”と叫んでいた。」を歌いながらバンドのカオスをコントロールしていた。

麗しのボルティモア/Loved Baltimore

ボルティモアの音楽ファンはフランク以外にもビリー・ホリデイ、ザ・カーズのリック・オケイセックや他にもこの地域に住んでいたアーチストを“息子”と主張してきた。ザッパは1940年に数学者でアバディーン・プルービング・グラウンドで化学兵器のリサーチの仕事をしていたシチリア島生まれの父、フランシス・ザッパのもとに生まれる。
フランクが10歳になった時、家族でカリフォルニア州に引っ越す前からすでに父の職業の影響でフランクの頭の中には化学戦争やガス・マスクの存在があった。そしてこれが後になって彼の曲の歌詞にも含まれるようになる。
このような人生のスタートにはゾッとする人もいるだろうが、ドゥイージルに言わせると彼の父はこの街に帰って来るのが大好きだったそうだ。そしてフランクのセキュリティーのメンバーを長年勤めた一人もここで生まれ、二人はよくこの“チャーム・シティー”の最新情報やお笑いネタを交換をしていたそうである。
ザッパはここで実際に作曲を始めなかったが、彼の心像があまりにも歪んでいた事もあってジョン・ウォーターズの映画と同じジャンルにされてもおかしくない。未亡人のゲイル・ザッパの意見として、「二人ともすごく“ボルティモアぽい”から誰かが二人のジョイント・プロジェクトを実現させればいい」と言っていた。彼女の夫は宗教的、政治的な狂信や時代の流行などに対する会話に切りが無くいつも言葉の遊びを上手に見せていた。そんな中から1966年の「Freak Out!」や1975年の「Bongo Fury」のようなアルバム・タイトルも生まれたのである。

ドゥイージルは弟のアーメットと一緒にやっていたバンド、「Z」で以前に一度だけボルティモアを訪れたが今週の木曜日は“Rams Head Live”の会場で父の曲「What’s New in Baltimore?」を含めたザッパのショーを披露する。

さらにボルチモア市長のシーラ・ディクソンはなんと8月9日を「フランク・ザッパの日」と認定した。

ドゥイージルは「What’s New in Baltimore?」とその曲の歌詞を利用し、「それは戻ってみないとわからない。」と。

ザッパのファンにとってとりわけ強く胸をうつシーンがある。「Cosmik Debris」の曲の中でフランク本人のビデオ映像が流れて息子の生演奏と映像の中の父とがジャムしている姿を見ることができる。まさに父の過去と息子の現在の弾き比べとも言えるだろう。

「あの部分はスリリングで超現実的だが同時に物悲しい」と24歳の時に父を亡くしたドゥイージルはコメントした。

ドゥイージルの母は、「息子のショーにこのような映像も含まれているのはとてもクールでチャーミングだけど同時に皆にとって感情的に辛い部分もあります。息子がそのパートを演奏する時はフランクと同じように心から弾いている姿が見える」と語った。
「ドゥイージルは家族皆と同じくフランクとすごくつながっている。彼のツアーを見ていると彼がどれだけ夢中かが伝わります。」

父を亡くした悲しみが残っているならドゥイージルはこのツアーに熱中することでそれを和らげていることだろう。フランクの16トラックのマスター・テープを全て復習することは、父が作り上げて来たプロセスを見ている感じがするという。

そのことはドゥイージルの幸せであった幼年時代を思い起こさせてくれた。しかし、多くの人が思うより普通な幼年時代だったそうだ。ザッパの子供は姉のムーン・ユニット、次にドゥイージル、弟のアーメットそして妹のディバの4人兄弟。皆は普段見るようなセレブ家族の複雑な暮らしよりも平和で普通だった。

ドゥイージルは父のフランクと同じで薬物使用には反対で、彼はお酒で酔っ払った事も無くタバコも吸った事も無い。そしてフランクはツアー中でない時はいつも家のスタジオで仕事をし、母のゲイルはザッパのビジネスを家でやっていたので、「我々の親はいつも家にいた」とドゥイージルは言う。
そのおかげで良い思い出がたくさんあったそうだ。その一つは子供達が「Sniglets」と言う言葉のゲームをした時だ。このゲームは“実際に無い言葉だけどあってもおかしくない”言葉を考えるゲームで、ドゥイージルの番になると“ロックなTシャツを着ないと家を出れない”という言葉に挑戦した。
フランクはすぐに“Insignoramus”と答えた。

「父はいつも想像力豊かな心を持っていた」とドゥイージルは言う。


全てがザッパに変身。3時間にも及ぶショーの後半に入り、バンドの後ろにサイケデリックな照明が回り始めると「ザッパ・プレイズ・ザッパ」は次の段階へ進む。
ギタリストのジェーミー・カイムがソロを弾き始めながらドゥイージルに近づき、会場で響くサウンドにドゥイージルは彼に合わせて強く弾く。そしてドゥイージルは彼の父のバリトンの脅威はなかったとしても父の皮肉さにこだましながら「A TV dinner by the pool - I'm so glad I finished school」を歌う。

このような演奏で父の遺産を生かし続ける事が目標であれば完ぺきに役立っているはず。 観客の一番前の10歳の女の子は踊っている。そして近くの男は「ザッパはまだ生きている!」と叫び、会場内は涙で溢れる。まさに「Freak out」は生き続けている。